最初の出会いはQUEENを開店してから2年目ぐらいだから1981年ぐらいだったと思う。
(たぶん)ハイファイセットさんのベースとして平市民会館で演奏した後にQUEENに飲みに来て下さったのが青木 智仁さんだった。
同い年ということもあって凄く意気投合し、朝方までゆっくりといい酒を飲んだのを覚えている。
「今、凄い才能のある人と横浜から第三京浜をワゴン車で飛ばしてガンガン演ってるんだ、もう楽しくて楽しくて・・・角松さんっていうんだ。来年は全国ツアーをやるからいわきにも来るかもしれないよ」
と 酔った青木さんが繰り返し言っていた。
その後角松敏生さんのデビューアルバム『SEA BREEZE』が発売され、すぐに聴きはじめたのだった。
そして1年後、角松さんの全国ツアーが平市民会館でも行われ、青木さんは約束通り角松さんや友成さんなどバンドの皆さんを引き連れて飲みに来て下さった。
その時、小さなアンプ内臓スピーカーを腰のベルトに固定して、ミニエレキギターを弾きながら入ってきたのが浅野“ブッチャー”祥之さんだった。
まだ「ZO-3」(スピーカー内蔵エレクトリックギターZO-3)が発売する前だったので
「ワオ~!エレキ流しだぁ」と大喜びして盛り上がったのだ。
その1年後、平市民会館を立ち見が出るまで満杯にした角松さんご一行様は、ほとんど大都市でしか演らなくなり、神奈川県民ホール等へ出かけて一観客としてずっとファンでいたのだった。
青木さんから連絡を頂戴して、渡辺貞夫さんが毎年秋頃に企画している「ディナーライヴ」に呼ばれたのは90年代だったろうか?
続けて5,6年はお邪魔したと思う。
いつもなるべくベースの前の席を確保して青木さんと目が合うとお互いにニコニコと挨拶していた。
その時に「ギターの方は上手いなぁ!凄いなぁ!」と感心して観ていたのだが、その方が梶原順さんだったのだ。
角松さんのライヴに行くと青木さんや梶原さんや友成さん、そして浅野さんのプレイが冴えわたり、一流のミュージシャンの織り成す音にいつも感動していたのであった。
その後・・・
QUEENが2002年に現在の場所へ移転してから・・・
1階から4階への移転だったので「LIVEをやるしかない!」と一大決心!
縁というのは不思議なもので、杮落としの近藤房之助さんのバックでギターを弾いていたのが浅野“ブッチャー”祥之さん。
近藤房之助さんが「B&O」というバンドで来て下さった時は、青木さんがベースだったのだ。
青木さんとワタクシは熱い抱擁をハグハグと・・・その時が又ドラマティックな夜であったのだ。
角松さんのおかかえギタリストの二人、梶原順さんと浅野“ブッチャー”祥之さんのアコースティックバージョン「JとB」のLIVEも大成功!
お二人から「今度はバンドバージョンの『J&B』でも演れるね」とのお言葉を頂きJ&Bライヴも大成功!
その後浅野さんは「The Blues Power」で永井“ホトケ”隆さんと沼澤尚さんと来て下さるようになり、梶原さんも自己のバンドや、やはり角松さんのおかかえパーカッショニスト田中倫明さんのバンドRomanticaでも演って下さり・・・
そんな流れで現在に至っているのでありました。
今はもう会えなくなってしまった青木さんと浅野さん。
梶原順さんと田中倫明さんのLIVEの時は、予約したホテルでチェックインの時に
「お待ちしておりました、梶原様、田中様、浅野様ですね」とホテルマンから話しかけられ
「やっぱり遊びに来てるんだ!」と納得。
あのイタズラっぽい目でニカっと笑っている顔が浮かんでくる。
今の自分があるのも み~んな縁があったいろいろな方々のおかげだ。
同じ空気を吸いながら分かち合う共に生きているひと時。
青木さん、浅野さん、今日も遊びに来てるかな??
こんなぶつぶつの独り言は、書き始めると止まらないので、今日はここまで。