4/10(日)は、R&B・ソウルシンガー上田正樹さんのLiveです!!
1974年 伝説のスーパーバンド"上田正樹とサウストゥサウス"を結成し、当時のバンドブームの頂点にたつ。その後ソロとなり、1983年「悲しい色やね」がシングルチャート1位となる。
しかし、そのヒットに甘んじることなく、パワフルな活動を続け、Ray Charles、B.B King、Junior Wellsを始め、数多くのBlues Artist達と共演。
またその後もTower of Power、War、Ike&Tina、Neville Brothers等のR&B BANDとの共演を果たしてきた。年間100本以上のライブステージをこなし、 アルバムも毎年コンスタントに発表している日本でもワンアンドオンリーのロングキャリアを持つ本物のシンガーである。
そして、1999年、日本文化解禁前の韓国にて名プロデューサー、キム ヒョンソクからの熱いオファーを受け、アルバムデビュー。その中の楽曲「Hands of Time」は 視聴率30%以上のドラマ「ゴースト」の主題歌にもなり、デビューアルバムは20万枚のセールとなった。
これが転機となり、上田正樹の評価はアジアの音楽シーンでも高い評価を得ることになる。
2001年インドネシアの歌姫REZAともデュエットを果たし、その楽曲「Forever Peace」はインドネシア語、日本語、英語の3か国語で歌われ、インドネシアでは、17週間連続1位を獲得。その人気がマレーシアへも飛び火し、上田正樹の存在は、日本だけでなく、アジアでも確固たるものとなる。
2002年8月2日 ブルースアルバム『NO MORE BLUES』を発表。
2003年JAZZYなスタンダード曲をアコーステイックで上田正樹の新境地を聞かせるアルバム『SMILE』をリリース。
2006年アルバム『FREEDOM』発売。 LIVE DVD『MTV PREMIUM LIVE MASAKI UEDA』発売。
2007年NHK土曜ドラマ『新マチベン』主題歌に『somewhere sometime』が採用される。同曲も収められたアルバム『OSAKA』を発売。
そして2009年25年振りとなるジャマイカの世界的リズムセクション「スライ&ロビー」との共演を果たしレゲエアルバム『FINAL FRONTIER-Masaki Ueda with Reggae Rythm』をリリースし、全国ツアーを敢行。多方面より高い評価を得る。
ワールドワイドに通用する、唯一の日本のシンガーであることは間違いない。
‘88より北村秀人(t.sax)グループに参加。
国内一流ホテルでのパーティーや結婚式の演奏を多数行う。
同時にジャズ、シャンソン、ロック系・・・等、様々なライブハウスに出演。
現在「池畑慎之介(ピーター)」、「浜崎貴司(元フライング・キッズ)」、
「上田正樹」、「香川明美(ファド)」、「門倉有希」、「上妻宏光(三味線)」・・等
ジャンルを超えてステージ、レコーディング、アレンジにと活躍中。
抜群のテクニックと音楽センスでアレンジはもちろんピアノプレイヤーだけではなくドラムまでもこなすマルチな才能の持ち主である。
※上田正樹さんによる堺敦生さんのご紹介(上田さんのブログより)
初めて彼の演奏を聴いたのは、横浜の馬車道の近くにある、パラダイスカフェという、友人のやっているライブハウスだった。
左手で、いい感じのベースラインを弾きながら、右手は、クールなバッキングと歌のレスポンス(response)を、こともなげに演奏していた。それを聴いた瞬間に、目が丸くなるぐらい、ビックリした。
この驚きは、だいぶ前のことではあるけれど『Tower of Power 』と大阪の府立体育館で共演した時に、ハモンドオルガンの名手 チェスター •トンプソンが、ハモンドのPorta B-3 を弾きながら、コーラスも歌いながら、足で早いテンポのベースラインをこともなげに弾いていたのと似ている。曲は、確か『What is Hip』だったと思う。
ライブ中に、ベーシスト フランシス•ロッコ•プレスティア(Francis Rocco Prestia )が、突然両手を挙げる、しかしベースの音は、鳴り続けている。今のデジタル化しているステージならわかるが、アナログど真ん中の時代に何故ベースが聴こえる?と全ての聴衆が思うその時、チェスターにスポットがあたりそれがオルガンベースだと分かる…凄い歓声が聞こえた。
パラダイスカフェでも、僕は1人で歓声を出していた。
ステージが終わるやいなや僕は堺くんに「一緒にバンドをやりたいです!」と言うと、彼は快く了承してくれた。それから、たくさんのセッションをやった。
彼は、僕に、ボソッと『ブルーズは、あまり上手くないんですが…。』と言う。彼のブルーズのソロは、以前に見た、B.B King の Blues Session に出て来たクラプトンや、スティーヴィ•レイ•ヴォーンという、ブルーズミュージシャンの中で弾いているジェフ• ベックと、よく似ている。
しかしそれこそが、彼のやり方であり、彼しか出来ないワンアンドオンリーであり、本当にいつも感動する。ある時『Soul Power 』という曲を作り、譜面にクラビネットと管楽器のセクションを書き、それをKenny と樋沢くんと堺敦生とYoshie.Nの4人で演奏したことがある、彼は左手でクラビネットを弾きながら、右手でホーンセクションを弾いた‼️右手だけでも難しいのに、左手でクールなグルーヴをキープする‼️
ジャズやフュージョンやR&Bやシャンソン、日本の音楽やすべてのジャンルを超越して堺敦生は存在する。ちなみに彼は、ドラマーでもある。
アルバム「Final Frontier」で堺くんとレコーディングした「In our Life」をたくさんの日本のミュージシャンに聴かせると、イントロのクラビネットのフレーズにみんなが驚く。「これ、誰、日本人じゃないよね?」と決まって聞く。そして僕はこれは堺敦生だよ!と自慢する。
圧巻はYoshie.Nと堺敦生の2人だけでレコーディングした『Wonder of Wonders』だ‼️ これは是非聴いて欲しい。
改めて、ピアニストとしての凄さを感じています。
3歳から歌を歌い始め、7歳の頃にピアノも習う。
その後、10年間マーチングバンドに入り活動をするなど、幼い頃より常に音楽に触れられる環境で育つ。
Lauryn HillやTLC、Angie Stone、Norah Jones等に触発され、16歳の頃からシンガーを目指し、各地のライブハウスやホテルなどで活動を始める。
2005年より上田正樹氏に師事し、本格的な制作活動を始める。
同年、日本各地の子供達に世界的な視野と平和を願う気持ちを持って欲しいと願い「We are the world」を歌う。
2008年1月にSTARBUCKSの3枚のアルバム、「Asian Soul」「African Beat」「Latin American Heart」(上田正樹プロデュース)へも参加。
海外のミュージシャンからも大絶賛を得る。
2008年2月6日に「I’ll be good to you」でデビュー。
天性の類いまれなる声で、本来SoulMusicの中にある”やさしさ”を表現できる
One&Onlyのシンガー。