Blues On The Road.4/9(火)は心に染み入るスライドギター五十一Liveです。
日本では数少ない、スライドギターをメインにし、
ブルース、ロックからカントリー、琉球音楽までの
幅広いジャンルを歌う五十一(いそいち)さんのLIVEです。
オープニングアクトに、いわきを代表するブルースマン アントニオ杉岡さんが出演します。
誰もがみんな人生という旅を続けている。
歩き続ける事に疲れたら、
立ち止まって空を見上げる。
そしてまた腰を上げて、歩き始めよう。
Blues On The Road.
北から南へ、西から東へ、ディープなライブ旅は続く。
切なく鳴り響く五十一さんのスライドギターに包まれて下さい。
■五十一(isoichi)
1952年、徳島県生まれ。本名:吉野五十一
親父が51才の時に生まれたから五十一と名付けられた。
子供の頃より唄が好きで、よく祭の余興にかり出された。
思春期の中学時代、ビートルズやグループサウンズに熱狂する。
高校に入った時、下宿屋の隣のお兄さんから始めてギターの手ほどきを受ける。
その頃はやっていたフォークソングなるものにまたまた熱狂し、学園祭などで唄うようになる。
勉強もせず大学に進学したとき本格的に音楽の道へ。
19才の時大きな転機が訪れる。
西日本フォーク選手権。たまたま友人と遊びのつもりでオーディションを受けたら、
見事に合格し、決勝大会に進出。万博公園のお祭り広場で行われたこの大会に見事準優勝し、
そこでプロデューサーから音楽を本格的にやったらと言われたような記憶がある。
しかし、翌年「春一番」というコンサートを見て大きな衝撃を受け、自分の進む道を決める。
そこから、苦悩の日々が始まる。やはり一人ではだめだと思い、バンドを作ることを決心する。
当時通い詰めていた「BIG PINK」(ここで「ライクーダー」や「オールマンブラザースバンド」に大きな影響を受ける。)
というロック喫茶のマスターとバンドを作った。
その名も「LOST 51 BAND」。当時熱狂していたカントリーロックのバンドだった。
1976年、あこがれの春一番に出演。それと平行して関西の主なライブハウスに出演するようになる。
当時、出来たばかりの伝説のライブハウス「BARBON HOUSE」にもレギュラー出演を果たす。
それからは毎年春一番にも出演し、LOST 51 BANDも何度かのメンバーチェンジをくり返しつつも
いろんな場所で活動するようになる。しかし、26才で突然の音楽活動を休止。
そしてその15年後、友人の薦めもあり、活動再開。
元ディランセカンドの「永井 洋」とバンドを作ったりいくつかの紆余曲折をへて、
ついに1999年、初のソロアルバム「WILDERNESS」を有山じゅんじ、増田俊郎などのサポートを得て発表。
これまで影響を受けてきた音楽のすべてを注ぎ込んだこのアルバムは、多方面で大きな評価を受ける。
それと平行して全国津々浦々ツアーを開始。1998年より「春一番」にも20年ぶりに出演.。
さらに2000年9月にマキシシングル「さよなら小唄」を発表。
2001年4月、セカンドアルバム「流れ者」を発表.。
2003年10月、五十一歳になった事を記念してサードアルバム『Lonely Road』を
関西の伝説のバンド『SHERIFF』のサポートを得て発表。
2006年9月には4枚目のアルバム『遠くはなれて』を発表。
2007年5月、憧れのギタリスト『エイモスギャレット』の仙台公演でオープニングを勤める。
現在、年間140本以上のコンサート&ライブをこなし、全国を精力的に活動中。
日本では数少ないスライドギターをメインにし、ブルース、ロックからカントリー、琉球音楽までの
幅広いジャンルを駆使したライブは多くの人達に賛同を得ている。
またシングルの『さよなら小唄』は沖縄でもカバーされ、
ラジオ関西の番組のエンディングテーマ曲にもなっている。
■4/9(火)
■スライドギター五十一
■開場18:30/開演19:30
■¥2,500(D別)
■【出演】OA:アントニオ杉岡 五十一
■日本では数少ないスライドギタリストのブルース&ロックライヴです。
ドブロギターのスライド一発で大ファンになります。
本物のブルースに包まれて下さい。